妥協せざる人々

映画館に観にいった映画についての感想文。

ドグマ・不純の誓い
―于颪辰娠撚茲亡脅佞靴燭
⊂暖饉圓箸靴討領場を明確にするぞ
1撚茣嫋泙竜_颪浪真佑砲睚薪であれ
け撚茲呂燭世修譴世韻農斬なんて持ち込むな
ケ撚茲乏壁佞韻鷲要ない
ι埔鰺な文章で失笑を買え
他人の価値観からの脱却を図れ
╋欧覿欧訖様佑竜せちを逆撫でてみろ
ナンバー・ワンではなく、ロンリー・ワンを目指せ(泣)
“映画好き”を自称しつつそれを貶める人間に憧れろ(号泣)


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お詫び
ただいま、個人的な理由により映画鑑賞が困難となっております。テレビ放送、あるいはビデオグラムなどでは鑑賞しておりますが、映画フィルムと劇場スクリーンがあってはじめて映画鑑賞が完成するという考えの下、当ブログのテキストは、劇場での鑑賞作品の感想に拘らせていただきたいかと存じます。暫しお待ちいただければ幸いです。
お知らせ
おかげ様をもちまして“未公開または書きかけ”のテキストが100を越えました。観たこと自体忘れている作品も少なくありません…。こんな僕を許してください。
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時には母のない子のように…  愾芭鎧辧
07年7月28日(土)分

.スカー・レーラー監督作品『素粒子』

06年 ドイツ。カラー。ヴィスタ。配給 新日本映画社。 原題 THE ELEMENTARY PARTICLES 字幕翻訳 石田泰子。鑑賞状況 座席45席中10席程度。個人的タイトル『サンプルAとB』。

おい、弟。はくいスケがいるぜ

晴れ 久しぶりの映画鑑賞でいささか緊張しております。しかも今日はとてつもなく暑く、歩くだけで汗が噴出です。大丈夫なんでしょうか。気を失わないでしょうか。冷や汗 さて、鑑賞を切望していた『素粒子』です。この作品は、去年のドイツ映画祭で上映されたもののスルーしていたものです。理由はプレミア上映(=後日、ロードショー)ということになっていたからです。わざわざここで観なくても、あわよくば会員になっている映画館での上映だったら、もっと安く観られるはずだしな、と。一身上の都合によりロードショー観られませんでした(号泣)。本日は定額料金で入場です。人生こんなもんです。欲が出るのが下流(げりゅう)社会。

赤ちゃん 父親の異なる二人の兄弟を軸に物語は展開です。男にとっての母親への愛憎といったものは複雑であります。特に子供時代の母親の接し方は、その人の世界観形成に大きな影響を与えるかもしれない。性生活に対する認識についてはどうだろうか。ここではその要因をサマー・オブ・ラヴな母親の育児拒否として描かれているようであります。この母親、ちょっとペドロ・アルモドバルの映画に出てきそうです。ん?これは『オール・アバウト・マイ・マザー』のアンサー映画でしょうか。まったく性格が異なっているかのこの兄弟も、しかしコインの表裏であります。

上向き 兄のブルーノは“したくてしたくてたまらない男”です。しかしその想いはなかなか思うに任せません。妻も逃げました。学校の先生をしながら作家デビューを目論んでいます。しかしその内容たるやナチズム礼賛的です。ヒトラーの例を見るまでもなく、人生うまくいかないと世間に憎悪を催します。殺りくの夢を見ます。判るような気がします。それに子供時代にいじめにも遭っていて、集団に対する憎悪といったものもあるんでしょう。一方、弟のミヒャエルはどうでしょう。同級生アナベルへの想いは、恋愛感情というよりは、むしろ得られなかった母性への憧憬といったもので、つまり母親への愛はタブーであるから、写真を撮ることによってこの愛を封印しようとします。手を振ってこちらに微笑むアナベルの写真はとても象徴的です。去りゆく恋。こちらは愛を拒むスタイルのようです。そして今、愛がなくても人類は存在していくという研究に、彼は没頭しようとしています。飼っていた鳥は死にました。

カメラ 撮影(カール=フリードリヒ・コシュニック)は、意図なきパンフォーカス全盛時代にあって、絞り込んだ画面には奥行きがあり的確で美しい。端正な映像とドイツって結びつきやすいです、なぜでしょうか。シネ・ヴィヴァン六本木で観た『イカレたロミオに泣き虫ジュリエット』(『ポンヌフの恋人』や『ワイルド・アット・ハート』『トゥルー・ロマンス』に先行する、しかも唯一無二な再評価が待たれるイカレた純愛哲学作品であります)は黒白作品だったんですが、天然色撮影もすばらしいことを確認しました。

鉛筆2 原作のミシェル・ウエルベックさんはフランス人ですから、今回の映画作品はドイツへちょっと場所をずらしてみました、ということなんでしょうか。原作にあると思われるエスプリな毒がジャーマン気質によって醒めた感じになって好ましく思いました(どういうこと?)。これがアメリカあたりだともっともっと通俗的になったんじゃないでしょうか。こういう孤独な魂の彷徨は、乾いた土地がふさわしいなと思ってしまいます。別人格を演じることによってスターとなったデヴィッド・ボウイは、唯一無二の人ブライアン・イーノとベルリンで最高傑作をモノにしてるし(関係ねーぞ、コラ…)。

眼鏡 ラストシーンはファミリーでにぎわうビーチでの光景でジ・エンドです。なんとなくフランソワ・オゾン監督作品を彷彿させます。バカンスの風景というのは、表面的には喧騒なんですが、まじかに見える海と合わさって寂寥感であります。

さくらんぼ 映画は最後に“愛も暴力も理由は素粒子由来ですので、私たちは神の操り人形です”と結論がなされます。なっ、なるほど。ふと、十何年か前に流行ったテレビドラマ『高校教師』で引用されていた『利己的な遺伝子』を思い出しました。寅さんに“それを言っちゃ〜おしまいよ”言われそうですが、原作者の深い諦念がありそうです。それにこのヒステリックな極端さは、芸術創造の源泉であります。世の中なんてこんなもんさ、みんながそうしてるからなんてところから芸術は生まれないし、未来はどうも開けそうにないようです。でもちょっと待て、愛は棄てるな、心の結びつきをもー一度信頼してみようぜ、などとセンチメートルに自分に言い聞かせます。

猫 爆睡中の母親のプッシーを覗き見後、ブルーノがバルコニーで挙行したドゥ・イット・ユアセルフ(母のでもできるのか?)のシーンを目撃してしまったがために(フィニッシュで目を逸らしたのが、いけなかったらしい)、撲殺されてしまうニャンコに追悼の意を表します。哀しきプッシーキャットであります。悲しい

リボン 女の人たちを眺めてみます。母親ジェーンは、実に奔放に生きています。それに至るまでの悶着が興味深いところです。これ、別の小説になるんじゃないでしょうか、ウエルベックさん? 家庭的であること(ブルーノの発言に、祖母は料理がとてもうまかったとある)とそれに隷属することが嫌だったんでしょうか。サマー・オブ・ラヴな人生もまたよし。でも結構子供たちに迷惑かけてます。アナベルは早くからミヒャエルとの運命に気づいています。傷つきながらも、男をやさしく見守っている女。これは男たちの身勝手な理想なのでしょうか。クリスティアーネは、ブルーノが思想もへったくれもなく、ただやりたいがために参加した、フリー・セックス・パーティーで出会う女です。やったー、ついに理想のパートナーに出会ったぞとブルーノが思ったのも束の間、病気を苦に自ら死を選ぶこととなります。死に際に化粧をし着飾っています。これがまた女であることの側面。いつだって女はきれいでありたい。皮肉なことに、極限の悲しみの果てにブルーノに取り付いていた悪魔はどこかに去っていったのでした。男を導き救うのはいつだって女なのだ。ねぇ、マリア様。

読書 パンフレットは700円。B5判中綴じ28ページにトレペで表紙(アートディレクターさん、角がめくれてくるのでこういうのやめてください)。採録シナリオあり。それと自称イラストレーターや漫画家の“ここが目の付け所的コーナー”も適時やめて頂けるとうれしいです。品がないので…。

CD 映画の冒頭はT・レックスの有名曲『ゲット・イット・オン』で始まったりします。ドイツ映画を鑑賞の腹づもりですので、いささか戸惑います。ミヒャエルの学校でのダンスパーティーシーンではニルソンの名曲『ウィズアウト・ユー』なども流れます。戦後大衆生活はどなたさんも英米文化の渦に巻き込まれているのでしょうか。あなたのラヴ・ストーリーも欧米かっ!パクッ

チューリップ このテキスト書きをダラダラと躊躇している間に“DNA操作で卵子だけでマウス誕生!”なんていうニュースが飛び込んできた。(8月21日付) 研究は着々と成果を挙げている模様。世界にはこの作品同様に、心に傷を持つ人たちがコンプレックス克服のために、自己正当化の試みを行なっているようです。そんなわきゃね〜か。

未来は女のものである(超号泣)。

危険 母親と娘の葛藤についてはマルコ・フェレーリ監督の83年作品『ピエラ・愛の遍歴』をご覧いただけるとよろしいかと。フェレーリですからいささか露悪的ですが。スタン・ゲッツがサックスソロ吹いてるし。



『アリスの恋』→少年は母親の女としての一面を垣間見る。そして格差社会下の庶民生活へのアメリカからの予告
◆ 愼蟷垣畊諭戡極限状態口減らし、消費体としての母親を山に棄てるという状況。日本の過去からの予告。生む機械、働く機械としての女の人生とは…リユース、リデュース、リサイクル、まるで恋だねぇるんるん(なんのこっちゃ)
 女の影響力は絶大です。男なんていたのかどうか。それって責任回避!
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