妥協せざる人々

映画館に観にいった映画についての感想文。

ドグマ・不純の誓い
―于颪辰娠撚茲亡脅佞靴燭
⊂暖饉圓箸靴討領場を明確にするぞ
1撚茣嫋泙竜_颪浪真佑砲睚薪であれ
け撚茲呂燭世修譴世韻農斬なんて持ち込むな
ケ撚茲乏壁佞韻鷲要ない
ι埔鰺な文章で失笑を買え
他人の価値観からの脱却を図れ
╋欧覿欧訖様佑竜せちを逆撫でてみろ
ナンバー・ワンではなく、ロンリー・ワンを目指せ(泣)
“映画好き”を自称しつつそれを貶める人間に憧れろ(号泣)


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お詫び
ただいま、個人的な理由により映画鑑賞が困難となっております。テレビ放送、あるいはビデオグラムなどでは鑑賞しておりますが、映画フィルムと劇場スクリーンがあってはじめて映画鑑賞が完成するという考えの下、当ブログのテキストは、劇場での鑑賞作品の感想に拘らせていただきたいかと存じます。暫しお待ちいただければ幸いです。
お知らせ
おかげ様をもちまして“未公開または書きかけ”のテキストが100を越えました。観たこと自体忘れている作品も少なくありません…。こんな僕を許してください。
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死に至る病 『潜水服は蝶の夢を見る』

JUGEMテーマ:映画

08年5月16日(金)分

ジュリアン・シュナーベル監督作品『潜水服は蝶の夢を見る』

07年 フランス・アメリカ。112分。カラー。ヴィスタ。配給 アスミック・エース 原題 LE SCAPHANDRE ET LE PAPILLON 字幕翻訳 松浦美奈 鑑賞状況 観客4名。個人的タイトル『看護婦(秘)日記 いたずらな眼差し』。

予告編


聞き耳を立てる この映画のTVコマーシャルで、自称映画評論家のおすぎさんが“この映画を観て感動しない人が1万人以上いたら、映画評論家を辞めます”と大きく出ていたので、1万人っていう人数設定に往生際の悪さを感じつつも、どこぞの掲示板の一部の投稿者の如くどーせいつもの“おすぎつき”なんだろ。営業じゃねーかこのカマヤロー!などと剥き出しの悪意を募らせ、ハッとして“いけないいけない、危うく理性を失うところだった、くわばらくわばら”と。こういう体験をしたわけですので鑑賞を躊躇していたのですが、いやしかし、この傲慢さが業界の悪しき体質、タダで映画を観ながら気楽に映画館の呼び込みなどと開き直るゴロツキの…いやいや、そんなこととは関係なくただ単純にスピルバーグ監督の『ミュンヘン』にもご出演され、このところ国際的な活躍をなされているマチュー・アマルリックさん(42)出演作なだけに観たいと思っていたというのが実勢であります。ジョニー・デップさんだったらおそらくスルーが懸念されます。映画と対峙するとき、“絶対に観るべき映画(英語だとチェケラ〜)”だとか“言葉に表せない感動”といったコピーを用意して、その映画を消耗品として切り捨てるなどということは僕にはとてもできません。そのような抽象的な言葉を多用する人を僕は信用していません。あっ、いけないいけない、危うく理性を失うところでした。で、“感動しませんでした”の投票はどこにすればいいんでしょうか?もう少し言わせてください。イメージが豊富であり解釈の仕方を如何様にもできるので感心したというのが、この映画に対する正直な気持ちであります。よくよく考えればこんな残酷な映画に、みなさんは感動を催すのでしょうか。借りてきた音楽に心を惑わされているんじゃないでしょうか。ちょっとコーヒーでも飲んで落ち着いてください。ホットコーヒー

三日月 映画が発明されて100年以上が経つわけですので、映画の有り様も多様化しています。異ジャンルからの参入もぞくぞく増えているようです。要するに映画の成立たせ方も変って来ているということです。この作品の監督ジュリアン・シュナーベルさんはむしろ美術畑の方のようですが、『バスキア』も『夜になるまえに』もなぜか観ていませんので(アスミック・エースとは全作品独占契約?)今回はじめましてということになります。そんな“よそ者”が映画を撮ろうとする場合、観客が留意しておかなくてはならないのが、作り手がテレビ番組・コマーシャル・ミュージッククリップといった映像作品と、映画との違いをどの程度認識しているかということでしょう。“よそ者”に作法の伝承は無いでしょう。それもいいかもしれない。しかしともするとアイキャッチーな映像の横行になりかねません。パッチワークのようにバラバラのものを繋ぎ合わせて核は見えてくるでしょうか。説明は無くても構わないのですが、脈絡も同時に廃棄しても構わないのでしょうか。それを映画とは関係なく完結している音楽で補完することは、許されるのでしょうか。熟慮したいと思います。

人影 申し訳ありません。冒頭から主人公目線であったのでどうしても『2001年宇宙の旅』の後半部分ということになってしまいます。要するにHAL9000コンピューター目線ということになります。『2001年〜』の中でHALの苦悩とは何か?それは実体がないということであります。ゆえに実体に対する嫉妬を感じるのは当然のことでしょう。幸福でない大金持ちと似ている気がします。肉体とは今いかなる扱いを受けているのか、それは『夜顔』のテキストでも少し言及しました。考えてみればキューブリック&スピルバーグ監督作品『A.I.』は、合理性を先行させたために自ら肉体を失った異星人が、実体(地球人)の模造体としてのロボットが見る母親(実体)への甘く儚い想いの再現を手助けし、合理では割り切れない過去への眼差し(或いは不可逆の時間の進行への抗い=不老不死への淡い願い)という知的運動に羨望するのでした(観てなくてよくここまで語れるわ〜)、この作品のマチューさんはどうでしょうか。当初は絶望していたようですがはっきりとは判りません。絶望することは止めたと言いいますが変っていないように伺えます。マチューさん自身のモノローグからすると、悲惨というより他人の善意を拠り所に、今の状況と気楽に付き合っているように感じられます。絶望の果ての境地でしょうか。失われたものへの執着といったものは見当たりません。もしかして出版本のためのコマーシャルフィルムなんじゃないだろうか、と思えてきました。

リサイクル マチューさんはキルケゴールのように若くして路上に倒れたため、不自由な身体になってしまうのですが、それは思索の果てではなくスノビッシュな生活から自己とその周辺を見つめ直す余生への転換であるようですがそれは描かれません。不幸でしょうか。それともパラダイムシフトでしょうか。潜水服を“牢に閉じ込められた”と捉えるよりむしろ、“羊水の中の胎児(=未来ある存在)”と捉えるとき、それは言葉を選ぶという擬似的オーラルセックス(女性たちの扇情的な顔のアップが繰り返される)によって促される母体への回帰願望(=振り出しに戻る!)と考えられ、エンドタイトルの氷河の崩落が巻き戻されて元通りになるシーンに納得がいく所存であります。

唖然 現在の恋人からマチューさんの元に電話が掛けられてきますが、当然自分では取ることができないわけで、休日ということもあり元内縁の妻が取るこことなります。そのシチュエーション自体も残酷なのですが、ここでその恋人より自分のアイデンティティーを確認させられるハメになります。彼女は宣告します。『動かないあなたは人間ではない、よって愛は終了します』。この時、自分の孤独をはっきりと自覚したのではないかと思われます。元内縁の妻は愛ゆえに電話を切ることとします。普通ですと理性を失うほどの怒りを覚えるところでしょうが、マチューさんは恋人に“愛している”と告げるのですがそれはけして額面通りじゃないでしょう。なぜそんなキリスト教的な隣人愛を持ち出したのか?神は死んだという認識の男(=虚無を克服しようとする者)による、みやげ物の聖母マリア像を買うと言って聞かなかった女(=偶像崇拝者)への当て付けではないでしょうか。実際は恋人との生活が続いていたらしいので、ここら辺は監督・脚本家のオリジナルという気がします。さあ自己を肯定する人間がここに誕生したのです(リヒャルト・シュトラウスの例の曲をかけて下さい)。

ニョロ 鑑賞中に脳内に渦巻いた作品の数々
 ・海岸で抱き合う二人→『流されて』リナ・ウェルトミューラー監督作品(74)
 ・縫合された瞼⇒縫合された性器→『海を見る』フランソワ・オゾン監督作品(97)
 ・体内から外を見る→『リトルショップ・オブ・ホラーズ』フランク・オズ監督作品(86) なお、体内映像は日本のピンク映画、特に痴漢物にて以前より実践されている。
 ・フォトセッション場面→『欲望』ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品(68) また現実から幻想へのシフトというストーリー。
 ・駅のホームで踊る子供→『時計じかけのオレンジ』スタンリー・キューブリック監督作品(71) また拘束されかつ悲劇的装置として利用される主人公。医者たちから覗き込まれる視線。
 ・なす術なく海上に佇む⇒海岸に取り残されたピアノ→『ピアノ・レッスン』ジェーン・カンピオン監督作品(93) コミニュケーションの断絶と克服、欲望の発見
 ・すれ違う父親と息子の想い×2世代→『愛されるために、ここにいる』ステファヌ・ブリゼ監督作品(05)
 ・尊厳のための死、受け入れ難い生→『海を飛ぶ夢』アレハンドロ・アメナーバル監督作品(04)未見
 
テレビジョン 撮影はスティーヴン・スピルバーグ監督作品でも大活躍中のヤヌス・カミンスキーさん(48)です。前述の通り主人公目線が大半ですので、アップやバストショットが多いためスクリーン至近距離でのご鑑賞は疲れるのではないでしょうか。個人的にはヴィスタではなくシネスコでの画面設計で観たかったところです。海をもっと有効に使っていただけたら…と。それに監督の指示なのかヤヌスさんの意向なのか、手持ちのカメラグルグルとか何かやけにコマ落としとか着色とかのスタイリッシュ映像は、目が回りそうで嫌いです。ジジイになったからでしょうか? それから瞼の縫合とそれを内側から捉えた映像はどんな特撮なんでしょうか。すごいと思いました。もっともルイス・ブニュエル監督の『アンダルシアの犬』(29)の目玉を真っ二つの痛い痛いショッキング映像にはまだまだですが。

レンチというわけで『007シリーズ』新作にも出演されるらしいマチュー・アマルリックさん(42)主演の作品でしたが、彼のフィルモグラフィとして重要がどうか−演出・構成に問題があったとしても、提出されたテーマは今日的であると思われるため、やはり無視はできない作品と思いました…の反対なのだ。それに今回は身体障害患者という役でもあり、またひとつ演技の幅を広げたという印象もあります。ところで、シュナーベル監督がマチューさんを“発見”したと語っている、オリヴィエ・アサイヤス監督の『八月の終わり、九月の初め』(98)を改めて激しく観たいと思いました。正式に輸入していただけないでしょうか。フランス映画社は長く開店休業だし、シネマパリジャンもいつのまにかワイズポリシーだし、巴里映画はどうだ、プレノン・アッシュはどうだ。動機はいつも経済であり、作品に惚れ込んで買付けができる人材はいなくなって、フランス映画の配給は前途多難です。バブルは良かったなぁ、ホイチョイ。

読書 パンフレットは700円。印刷・北斗社。製本所・表記なし。デザイナー・鈴木成一デザイン事務所。CINEMA RISE 癸隠牽院B5中綴じ縦左開き36ページ。シナリオ採録なし。イントロダクション、監督の言葉とインタビュー、カンヌ映画祭記者会見は全文オフィシャルサイトで無料で読むことができる。スタッフ・キャストもほとんど同じテキスト(一部割愛あり)を無料で読むことができる。ストーリーのテキストはサイトのものとは異なる。要するにパンフレットは映画評論家(今野雄二)、映画ライター(平井伊都子)、原作本の翻訳者(河野万里子)、音楽ジャーナリスト(伊藤なつみ)のテキストのために買うようなものである。というわけで適正価格は300円てとこで。作品にインスパイアされたお料理コーナーは、確かにおしゃれなんだろうけれど、予算をつけるならシナリオ採録の方を是非!


ハイ、本ができましたよ。うーん、やっぱDIC158にしてくれ。今からは無理…。

資料関係



1.チラシオモテ 2.チラシウラ 3.パンフオモテ 4.パンフウラ

追記
人影 この作品で使用されているバッハのピアノ協奏曲第5番なんですが、確か他の映画で使われていたはずだとずっとわだかまっていました。偶然、グレン・グールドを聴いていて“グールドと映画…”などと考えている内にジョージ・ロイ・ヒル監督の傑作『スローターハウス5』だったと思い当たりました。すっきりしました。この映画でも時間経過は解体されて、カットアップされています。ジュリアン・シュナーベル監督は影響を受けているのではないでしょうか。

スローターハウス5
サントラ・紙ジャケシリーズというのやってくれませんかね、ソニー様。
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