妥協せざる人々

映画館に観にいった映画についての感想文。

ドグマ・不純の誓い
―于颪辰娠撚茲亡脅佞靴燭
⊂暖饉圓箸靴討領場を明確にするぞ
1撚茣嫋泙竜_颪浪真佑砲睚薪であれ
け撚茲呂燭世修譴世韻農斬なんて持ち込むな
ケ撚茲乏壁佞韻鷲要ない
ι埔鰺な文章で失笑を買え
他人の価値観からの脱却を図れ
╋欧覿欧訖様佑竜せちを逆撫でてみろ
ナンバー・ワンではなく、ロンリー・ワンを目指せ(泣)
“映画好き”を自称しつつそれを貶める人間に憧れろ(号泣)


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お詫び
ただいま、個人的な理由により映画鑑賞が困難となっております。テレビ放送、あるいはビデオグラムなどでは鑑賞しておりますが、映画フィルムと劇場スクリーンがあってはじめて映画鑑賞が完成するという考えの下、当ブログのテキストは、劇場での鑑賞作品の感想に拘らせていただきたいかと存じます。暫しお待ちいただければ幸いです。
お知らせ
おかげ様をもちまして“未公開または書きかけ”のテキストが100を越えました。観たこと自体忘れている作品も少なくありません…。こんな僕を許してください。
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タラちゃんの爛愁疋爐離レージ・セール瓠´ 悒ぅ鵐哀蹈螢▲后Ε丱好拭璽此
JUGEMテーマ:映画
 

.エンティン・タランティーノ監督作品『イングロリアス・バスターズ』

09年/アメリカ/152分/カラー 配給:東宝東和 原題:INGLOURIOUS BASTERDS 字幕翻訳:松浦美奈(字幕女王) 個人的タイトル『パリの一夜〜我が愛のフィルム』

予告編 


 ウィ・ラヴ・ムーヴィース!ユー・ラヴ・ムーヴィース?と唐突に問われたとしたら、私はいったいどう答えるでしょう。作品への関心だけがあって映画自体を愛するという趣味は私にはありません。そうとしか答えられません。これぞ映画の醍醐味だ、などと真顔で言われると思わず引いてしまう。私は人並みに年をとり、あんずジャムせんべいを食べながら紙芝居に熱中することは止めにしたつもりです。それよりも“普段は見えない何かをどんな風に語るのか”に心ときめいてしまう。そのために映画館に行くようなものです。美術館に行くようなものです。本屋に行くようなものです。レコード店に行くようなものなのです。現象よりむしろその背後にあるものを見たい。もちろん語り口の系譜などというものにも一切興味はありません。ですからフリックスマニアを自認する人の作品は、警戒してスルーパスしたい。そこには使い古された記号の繰り返ししかないのではないか。様式に一喜一憂する気分はもうすっかり減退しました(なんつってね)。おそらくチケット代と時間を無駄にしてしまいそうだ。そうタカを括ってしまうのは悪い傾向です。バカの壁です。いやいや、ですから一粒で二度おいしい方式を採用した『キル・ビル』二作で(なんとかハウスというのは観てない)、私個人のQT鑑賞記録、つまり愛と憎悪ゆえに殺人にとり憑かれた人たちを即物的に描く一連の映画の観賞は、一応の終了をするはずでした。そこに私が期待している、あるいは見出すものはないように思われたからです。しかし、今回性懲りもなくまた劇場に出向き鑑賞をしてしまったのは、ブラッド・ピットによる反ナチ映画などと耳にしてしまったからでした。ブラピ出演だからかなのかアメリカでの興行収入もQT史上最高なのだとか。しかもマイク・マイヤーズもちょっと出るらしい。私は『オースティン・パワーズ』シリーズに、メル・ブルックスの匂いを感じているのですが、リアルタイムで観た『メル・ブルックスの大脱走』(83年)(エルンスト・ルビッチ監督作品『生きるべきか死ぬべきか』のリメイク)みたいなものなのか?勝手にそう思ってしまいました。東野英心さんに“人がいいにもほどがあるってぇもんだ”とどやされそうです。

 結論から言うと後悔とまではいかないまでも疲労感を覚えざるを得なかった。911以降のアメリカの正義の報復、見つけられなかった大量破壊兵器という事実。ベトナムという苦い教訓を生かせない大国のもどかしさ。経済的状況も含めてアメリカでは虚しさが心を満たし、思考の再検討という機運の時期にあってさえこのような復讐譚が作られ続ける。マイケル・マン監督による『パブリック・エネミーズ』という作品も配給されたが、義賊による搾取資産の正当な奪還(汚い金は盗んでも汚いままのはずなんだが…)は、ラブストーリーを散りばめつつハリウッド流マーケティング戦略としてさぞかし楽しい時間を提供して顧客満足のことだろう。抜け目がない。世情をすくい取ることは大切だ。不況の時代、吉本のタレントが坂本九ちゃんの『明日があるさ』をリメイクするようなエゲツなさやね。しかし日本人の私たちは憶えておかなければならない。戦後GHQの通達により仇討ちもの、盲目的忠誠心の称揚、封建的反動、自殺賛美といったものは禁止されたのだった。事実の湾曲・捏造も含まれる。つまり日本は現実として勧善懲悪の対象だったということだ。あっち側の倫理として。安保も50年経ってすっかり“あっち側”の一員のつもりになっているが、それは無知や自己修正の為せる業だろう。娯楽を供する映画と言えばそれまでかもしれない。だが同盟国の受難を扱うこの映画を、強兵礼讃の国粋者には楽しめないはずなのだ。それにタランティーノが実際の人物を引っ張り出してまで作ったこの映画は、本質的にゲッベルスと同じことをやっていると言えないだろうか。映画原理主義者によるニセ映画(愛なき者による悪意的映画利用)への愛の報復は、私にはナチ級の邪なことのように思える。正義の手段が“やられたら数倍返し”というプリミティヴな願望のためのプロパガンダ娯楽作になってしまうというのは、映画の特性の皮肉だろう。映画内映画が映画そのものだったという罠。ブラピ一味の仕業はまさにプロパガンダ映画のナチのそれそのままということだ。己の愛情の認識を再検討すべきかもしれない。観客はその時、暴力の傍観者、漠然とした不安から或る国家なり民族を殲滅しようとする企みの賛同者なのだから皮肉この上ない。嫌なら1000円返してもらって帰った帰った!そりゃ厳罰化、実刑化を熱望する大衆にとっては正しい時流なのかもしれない。無理やり仕立てあげた私憤(リュック・ベッソンに煽られた?)のために映画をつくるのなら、それもまた同じ傲慢なのではないか。新しいハリウッドたろうとする中国で、ナチを別な何か(私たちのにおいがする!)に置き換えた映画が作られることもあるかもしれない。それも映画の醍醐味だとしてはたして楽しめるか?映画マニアののんきなお兄さんが目にしたカンヌの映画商人セレブリティー(愛なき者が映画を商売道具にしている)を、想像の世界で自由に抹殺しようとする時、ヒトラーの芸術家としてのコンプレックスが浮かび上がりそれにピッタンコ重なり合う。この作品から“反戦のハの字”を見つけ出すことは困難だ。自嘲しているようにも見えない。元々戦場には正義などというものは無いとでも言いたいのか?それに登場人物それぞれの欲望や葛藤も見えてこない。映画のルールに従う駒の様だ。ナチ後の人生にその悲惨さを炙り出したのはリリアーナ・カヴァーニ監督作品『愛の嵐』(73年)だった。911以降に世界と暴力を扱う製作者は、けしてイノセントではいられない。しかしタランティーノみたいなバイオレンス&ナンセンスに依拠した映画づくりが至上命題の人に現状認識を求めようとしても、それは無理なことなのかもしれない。逆に大人気ないと言われてしまうのがオチなのだろう。ただ私は、ジョゼッペ・トルナトーレ監督作品『ニュー・シネマ・パラダイス』(89年)で最後に上映されるフィルム、つまり迫害され切除された無数のシーンを繋ぎあわせて作られた名もなき短いフィルム。それをスクリーンに映写するシークエンスを思い出そう。表現の復権、それは映画への想いなのだと信じたい。権力による愛という行為への嫉妬=検閲・監視、そして自由を奪うすべての行為こそ抵抗すべきものだからだ。しかしその抵抗は殺傷器具によってはならない。この作品には真実の悪徳は見えてこない。可燃性のフィルムは武器になるという発想を、私は嫌悪するだろう。

 やっぱり触れないわけにはいかないと思うのですが、今回の公開に合わせたキャンペーンに私は色めき立ちました(オイオイ)。新聞広告には大文字でこう書かれています。“この映画面白くなければ全額返金します”と。こりゃうまいことやってタダで映画を観ることができるかもしれない〜。身体に染み付いているかのごとく即座にそう思うことは、私が最下層生活者に属していることを意味するでしょう。しかしよくよく広告を眺めると、その下にある比べ物にならないくらい小さい文字の注意書きには、最初の60分で判断してねとか、住所氏名年齢職業聞いちゃうゾとか、しかもそれは最初の四日間だけとなっているではないか。タラ兄ィ、なんとアスホールの小さいことを仰るのか、よしこうなったら是が非でも観にいって、数多の映画系ブログ同様に、自分のカタルシス解消のためだけに悪意を以って扱き下ろしてやろう。身体に染み付いているかのごとく即座にそう思うことは、私が最下…。それにしても私はタランティーノに教えてやりたかった。欽ちゃんのシネマジャック料金徴収方式を。観た分だけの自己申告料金支払いというすばらしい方法だ。ねぇ山本カントク。あっ、オムニバスじゃないからダメか。(ついつい『シネマジャンク』って言っちゃうんだよね)

 タランティーノ作品における女性の扱われ方は、旧来的性役割の否定のようです。母性を背景にした女性は描かれていないように思えます。あったとしても見せかけの記号のような気がします。と言ってウーマンリブでもフェミニズムでもジェンダーフリーといった風にも見えない。梶芽衣子の『修羅雪姫』(73年)を引用するように、単純にかっこよさの一点に尽きるようです。『キル・ビル』のユマ・サーマンさんもかっこいいのですが、今回のメラニー・ロランさんも泣くのはやめて復讐に燃えています。虐げられ続ける人ではありません。でも直情にすぎる気がします。もっと別のうまいやり方があったんじゃないかと。映画館を強制収容所に仕立て上げられると、実に不愉快な気持ちです。ところで最初の件に戻るんですが、日本で経済の要請によって作られている映画作品群は、女性の扱いに対して実に反動的に見えてきます。

 ところで『キル・ビル3』ってアナウンスがあるんですが何なんだオイ!アウトテイクで三度おいしいってことなのか?

 パンフレットは600円。印刷/成旺印刷。製本所/表記なし。デザイナー/山本廣臣。223×297中綴じ横左開き表紙込み44ページ。シナリオ採録なし。表紙4P(表2は写真、表3は『パブリック・エネミーズ』広告)、写真のみページ計5P、イントロダクション1P、ストーリー+写真1章につき1P計5P、登場人物+相関図1P、ブラッド・ピット・プロフィール1P、猿渡由紀(映画ジャーナリスト)テキスト1P、メラニー・ロラン:プロフィール+インタビュー1P、クリストフ・ヴァルツ:プロフィール+インタビュー(猿渡由紀による、以下同様)1P、イーライ・ロス:プロフィール+インタビュー1P、ダイアン・クルーガー:プロフィール+インタビュー1P、その他のキャスト:プロフィール(15名)2P、映画についてのトリビア4P、タランティーノ監督インタビュー(町山智浩による)1P、プロフィール1P、町山智浩(映画評論家・パイ投げ師・アメリカ芸能事情通)テキスト1P、瀬川裕司(ドイツ文学者)テキスト+写真2P、若林ゆりテキスト1P、プロダクションノート3P、美術と衣装担当者へのインタビュー(若林ゆりによる)1P、その他のスタッフプロフィール(8名)1P、セルジオ石熊(マカロニ研究家ただし非パスタ=ショーケン?)テキスト1P、サウンドトラック紹介1P、英文によるクレジット2P、クレジット+奥付+写真1P。評価:英文のクレジットまったく要らない。イーライとダイアン紹介もそれぞれ半ページでいいかなと。公式HPを見るとテキストはまずウェブ用に書かれパンフレット用にさらに手直ししているといった感じで内容はほとんど同じ。ということでページもリストラしてA4判にして500円以下が妥当か。



公開資料

  ばびょ〜ん。調子こいて冗漫なテキストを書いたら入りきらなくなったのら〜。
    というわけでこっちを見てね。→12月16日

 サウンドトラック盤は、ワーナーミュージックジャパンから絶賛発売中です。内容はいろんな映画からの泥棒となっております。14曲36分¥2580(税込)!高くね?DVDももう出てやがんの。ブルーレイもよろぴく。定期昇給分でフィギュアを大人買いもよし。

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