妥協せざる人々

映画館に観にいった映画についての感想文。

ドグマ・不純の誓い
―于颪辰娠撚茲亡脅佞靴燭
⊂暖饉圓箸靴討領場を明確にするぞ
1撚茣嫋泙竜_颪浪真佑砲睚薪であれ
け撚茲呂燭世修譴世韻農斬なんて持ち込むな
ケ撚茲乏壁佞韻鷲要ない
ι埔鰺な文章で失笑を買え
他人の価値観からの脱却を図れ
╋欧覿欧訖様佑竜せちを逆撫でてみろ
ナンバー・ワンではなく、ロンリー・ワンを目指せ(泣)
“映画好き”を自称しつつそれを貶める人間に憧れろ(号泣)


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お詫び
ただいま、個人的な理由により映画鑑賞が困難となっております。テレビ放送、あるいはビデオグラムなどでは鑑賞しておりますが、映画フィルムと劇場スクリーンがあってはじめて映画鑑賞が完成するという考えの下、当ブログのテキストは、劇場での鑑賞作品の感想に拘らせていただきたいかと存じます。暫しお待ちいただければ幸いです。
お知らせ
おかげ様をもちまして“未公開または書きかけ”のテキストが100を越えました。観たこと自体忘れている作品も少なくありません…。こんな僕を許してください。
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天使の幻影  悒螢奪ー』
JUGEMテーマ:映画


  .侫薀鵐愁錙Εゾン監督作品『リッキー』

09年/フランス:イタリア/90分/カラー/ビスタサイズ/ドルビーデジタル 映倫レート G(どなたでもご覧になれます)、番号45157 配給: アルシネテラン 原題:RICKY 字幕翻訳:竹松圭子 個人的タイトル『フランソワ・オゾンの幸福』

予告編


 フランソワ・オゾン監督の作品は、ユーロスペースで紹介されてからずっと追ってきたつもりだったのですが、『8人の女たち』[02年]は観逃してしまいました。まっ、苦手なミュージカル仕立てなんて紹介されていたので意図的に外した(同様の理由で『シェルブールの雨傘』[64年]や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』[00年]なども…)とも言えますが。カトリーヌ・ドヌーブ出演で、女性雑誌に煽られた香水プンプン有閑おばさん動員もちょっと怖い。それどころか『エンジェル』[07年]なんてやってることさえ知らなかったなんて我ながらどうかしてると思います。死んでたんでしょうか?死んでました。 とりあえず1月に『ゴダール・ソシアリスム』を観にシャンテに行った折、在庫整理なのかパンフレットが半額だったので今のうちに買っときました。あとは観るだけです。

 オゾン作品にはいつも毒がある。それは少し暗めで粗い画調(全編自然光撮影?)とともにオゾン作品を特徴づけている。個人的には『ふたりの5つの分かれ路』[04年]がまず思い起こされる。意図的な時間軸の操作によって作り出される愛の皮肉。こうすれば永らえたかもしれない、ではなくこうなるしかなかったという女と男の分岐点。このようなオゾン監督の性格の悪さに、私はいつも魅了されている。異性愛の終末を見つめる醒めた眼差し。しかしそれは、コンセンサスに回収されるリスクヘッジ商業映画に与しないための作家としての真摯な態度だろう。この『リッキー』でもファースト&ラスト・シーンがひと続きではないか、と私は考えた。間に挟まれる出稼ぎ野郎(ファスビンダー…)と赤ちゃんの件は、主人公カティ自身の幻想であってラストの妊娠でさえそのように思えるのだ。冒頭で彼女は、子供(娘)を施設に預けたいと相談し涙を流している。憔悴しきりシングルマザーとして生きていくことの限界を訴えるが、受け入れてもらえない。更なる自助努力を求められるのだ。この無責任さ。満ち足りた者は、負債の存在など眼中になく誰もが有形無形の遺産を相続したように錯覚し、他者の懇願を社会的依存だと断罪するのだろう。ゼロからではなくマイナスから人生を始めなければならない人々に対する決定的な意識の欠落。世間の仕組みはまだその程度だということだ。そこから現実と幻覚の錯綜が始まる(ロトくじがはずれる→当たる、男が去る→舞い戻る)のだ。不敵な笑みを浮かべるラストの彼女は、けして幸福に包まれているのではなく精神的なある一線を越えたのだと私はみたい。それはオゾン作品の今までの登場人物たちのように。

 カティは社会の片隅で生きるひとりの女でしかないが(原案はイギリスの短編小説で、それはダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』[99年]を思わせるとオゾン自身がインタビューで答えている)、羽根の生えた赤ちゃんを授かったことによって、衆目の的になるなどという現実ではありえない設定(エイズの時代に初対面の外国人労働者とセックスができるのか?)が意地悪に過ぎるだろう。突然訪れた実体なき実存のインフレ。赤ちゃん部屋のかわいいクロスを見ると、アラン・ルドルフ監督の『メイド・イン・ヘブン』[87年]を思い出したりもするが、これはそういったファンタジーの様式を借りながら反転させたものなのだ。いわばオゾン流の社会批評といった類のものではないだろうか。(結局は羽根が生える前ぶれである)赤ちゃんの背中のアザなどは、彼女が男から受けたドメスティック・バイオレンスの暗示としか思えない。ただマルコ・フェレーリ(『未来は女のものである』[84年]など)作品のグロテスクが救われないほど容赦がないのに比べて、これはフランスのエスプリに留まっているように思える。また、マリナ・ドゥ・ヴァン独立以降は特に、被虐的具体描写は希薄になっているようにも感じられる。かつてブニュエルが登場人物たちそのものを注視したのに対して、ここではむしろ見えない周辺の無慈悲と孤独を際立たせている。

 最新作『しあわせの雨傘』[10年]が矢継ぎ早に公開される。またまたカトリーヌ・ドヌーブ出演で、映画など本当はどうでもいいおばさん方の爆睡いびきを聞かなくてはいけないかと思うと気が滅入る。いや、こういう方々が映画興業を支えているのだ。 それはともかくとして、本作との間に『LE REFUGE』(製作は本作と同年)という作品があるようで、やはり妊婦が登場するようだ(もっともオゾン作品に妊娠や赤ちゃんは比較的多く登場はする)。そこではカップルの男の方は直ぐに死ぬらしく(女は愛の枠組みから放り出され孤立する)、どうも本作と対の関係にあると思える。配給が期待されるところである。

 パンフレットは700円。BUNKAMURA ル・シネマのパンフレットシリーズ(通し番号なし)。印刷/ジャスト。製本所/表記なし。編集とデザイン/稲田隆紀、中村由紀子、アイ・プランニング。A4変296×225中綴じ縦左開き表紙込み24P。シナリオ採録なし。表紙4P(内表2写真、表3広告、表4クレジットと奥付)、目次1P、写真2P、中村うさぎ(エッセイスト)テキスト2P、黒田邦雄(映画評論家)テキスト2P、鏡リュウジ(占星術研究家、翻訳家)テキスト1P、解説1P、物語1P、キャスト紹介2P(6名内、アレクサンドラ・ラミーとセルジ・ロペスはミニインタビューも)、フランソワ・オゾン監督インタビュー2P、スタッフ紹介1P(監督含む8名)、ピエール・ビュッファン(SFX会社代表)インタビュー1P、ル・シネマ次回ラインナップ紹介とパンフレット・バックナンバー一覧1P、オフィシャルサプライヤー広告3P。評価:公式サイトにあるイントロダクションのテキストはパンフにはない。ストーリーやスタッフ&キャスト紹介も(似てしまうのはしょうがない)書き方を工夫している。そのまんま流用ではないので誠実であることは間違いない。ただオフィシャルサプライヤー広告が4Pなら料金設定は500円かなと。700円ならシナリオ採録で。サイズもB5だとありがたい。




公開資料

チラシ


新聞広告(L→R 毎日夕11月26日・朝日夕11月26日・読売夕11月26日・読売朝11月27日)



 ▲▲襯痢次Ε妊廛譽轡礇鶸篤頂酩福悒リスマス・ストーリー』
    →2月19日付


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